『レ・ミゼラブル』日本初演の初日は、1987年6月17日であった。その6日前、6月11日からはプレビュー公演が始まる。プレビュー公演自体、それまでには行われたことがなく、『レミゼ』で初めて取り入れられたものである。そのプレビューよりずっと前、出演者たちが稽古を重ねている頃、舞台機構をつかさどるスタッフたちも大わらわだった。
初演版を見たことがある人なら知っているだろう。画期的な舞台美術と照明がドラマティックに作品を語るのが、初演版の大きな特色だ。たとえば、舞台床の二重の盆。それぞれが独立して、右回りも左回りもできる回り舞台である。場面転換をスピーディにし、登場人物の置かれた状況や心理的距離までも表現してしまうこの盆は、これまた帝劇初のコンピュータ制御。そのためのシステムを持ち込み、エンジニアを招いて日本人スタッフが学ぶ日が続いた。
舞台美術ではもうひとつ、半回転する大きな装置も特徴的だ。パリの下町のガラクタの塊が半回転すると、一気にバリケードに変貌するのである。大きく重い装置を動かすのは油圧ピストンで、これも帝劇初登場。新たに帝劇の舞台機構に設えられ、ここでもロンドン・スタッフと日本側スタッフの技術交流が進んでいった。
さらに照明。あたかも天から降り注ぐ光を思わせる照明。その主体となる「ムーヴィング・ライト」は、照明デザイナーのデヴィッド・ハーシーが考案・製作したものだ。照明装置を買って帝劇の舞台上に取り付ければいいのだが、ことはそう簡単ではなかった。この照明に必要な大量の電気量が、従来の帝劇の電気容量を越えていたため、劇場の電気工事まですることになったのだ。
また、俳優の頭に付ける豆粒のようなワイヤレス・マイクも帝劇初のお目見えだった。現在では、ミュージカルの標準装備のように定着している小さなワイヤレス・マイクは、アンドリュー・ロイド=ウェバーのミュージカル『スターライト・エクスプレス』(84年ロンドン初演)の時に開発されたものなのだ。この新技術導入のために、サウンド・デザイナーのアンドリュー・ブルースもロンドンから駆けつけていた。
そして衣裳。『レミゼ』の時代背景1820年代らしい素材と仕立てにこだわった衣裳は、製作に手間暇がかかる。そのうえに数も膨大だった。しかも、紐とボタン留めだけ。なんたって、ファスナーは当時なかったのだから。下着にまでこだわっていたため、俳優たちも着慣れる苦労があった。
キャスト・スタッフが一丸となって開幕へ邁進していた3月、東京より一足先にブロードウェイで『レ・ミゼラブル』が開幕した。それまでの前売り記録を軽く5割以上超える数字を記録し、評価も人気も沸騰。演劇界のアカデミー賞ともいうべきトニー賞に11部門でノミネートされる。そして、6月の第一日曜7日の授賞式では、作品賞(キャメロン・マッキントッシュ)、脚本賞(アラン・ブーブリル、クロード=ミッシェル・シェーンベルク)、作詞・作曲賞(ブーブリル、シェーンベルク、ハーバート・クレッツマー)、舞台美術賞(ジョン・ネピア)、照明デザイン賞(デヴィッド・ハーシー)、演出賞(トレバー・ナン、ジョン・ケアード)、助演男優賞(マイケル・マグワイア)、助演女優賞(フランシス・ラフェル)の8部門を制覇したのだった。
トニー受賞で盛り上がるなか、ファンが待ちわびたプレビューの幕が開いた。11日初日キャストは、鹿賀丈史のジャン・バルジャンと滝田栄のジャベールだった。帝劇の舞台を使った通し稽古は前日1日だけだったという。もちろん稽古場では二重の盆を使った稽古を積んできてはいるのだが。舞台の状態や観客の反応を見ながら手直しを重ねていく、文字通りのプレビュー公演である。
プレビューさなかの14日、『レ・ミゼラブル』のオリジナル・スタッフがほぼ全員東京に集合、会見が行われた。アラン・ブーブリル、クロード=ミッシェル・シェーンベルク、ハーバート・クレッツマー、デヴィッド・ハーシー、衣裳デザイナーのアンドレアーヌ・ネオフィトゥ、そしてプロデューサーのキャメロン・マッキントッシュ。4月から稽古場で俳優たちに寄り添い、厚い信頼を受けていた演出のジョン・ケアードは、言うまでもなく。
1週間前のトニー賞受賞者がそっくりそのまま並んだ呈である。美術のジョン・ネピアのみ来日できず、美術補のキース・ゴンザレスが参加。世界のミュージカル界を牽引するトップ・クリエイターたちが一堂に会した、かつてない、そして今後もたぶんないだろう、まぶしく贅沢な会見であった。初日はもう3日後に迫っていた。
舞台美術ではもうひとつ、半回転する大きな装置も特徴的だ。パリの下町のガラクタの塊が半回転すると、一気にバリケードに変貌するのである。大きく重い装置を動かすのは油圧ピストンで、これも帝劇初登場。新たに帝劇の舞台機構に設えられ、ここでもロンドン・スタッフと日本側スタッフの技術交流が進んでいった。
さらに照明。あたかも天から降り注ぐ光を思わせる照明。その主体となる「ムーヴィング・ライト」は、照明デザイナーのデヴィッド・ハーシーが考案・製作したものだ。照明装置を買って帝劇の舞台上に取り付ければいいのだが、ことはそう簡単ではなかった。この照明に必要な大量の電気量が、従来の帝劇の電気容量を越えていたため、劇場の電気工事まですることになったのだ。
また、俳優の頭に付ける豆粒のようなワイヤレス・マイクも帝劇初のお目見えだった。現在では、ミュージカルの標準装備のように定着している小さなワイヤレス・マイクは、アンドリュー・ロイド=ウェバーのミュージカル『スターライト・エクスプレス』(84年ロンドン初演)の時に開発されたものなのだ。この新技術導入のために、サウンド・デザイナーのアンドリュー・ブルースもロンドンから駆けつけていた。
そして衣裳。『レミゼ』の時代背景1820年代らしい素材と仕立てにこだわった衣裳は、製作に手間暇がかかる。そのうえに数も膨大だった。しかも、紐とボタン留めだけ。なんたって、ファスナーは当時なかったのだから。下着にまでこだわっていたため、俳優たちも着慣れる苦労があった。
キャスト・スタッフが一丸となって開幕へ邁進していた3月、東京より一足先にブロードウェイで『レ・ミゼラブル』が開幕した。それまでの前売り記録を軽く5割以上超える数字を記録し、評価も人気も沸騰。演劇界のアカデミー賞ともいうべきトニー賞に11部門でノミネートされる。そして、6月の第一日曜7日の授賞式では、作品賞(キャメロン・マッキントッシュ)、脚本賞(アラン・ブーブリル、クロード=ミッシェル・シェーンベルク)、作詞・作曲賞(ブーブリル、シェーンベルク、ハーバート・クレッツマー)、舞台美術賞(ジョン・ネピア)、照明デザイン賞(デヴィッド・ハーシー)、演出賞(トレバー・ナン、ジョン・ケアード)、助演男優賞(マイケル・マグワイア)、助演女優賞(フランシス・ラフェル)の8部門を制覇したのだった。
トニー受賞で盛り上がるなか、ファンが待ちわびたプレビューの幕が開いた。11日初日キャストは、鹿賀丈史のジャン・バルジャンと滝田栄のジャベールだった。帝劇の舞台を使った通し稽古は前日1日だけだったという。もちろん稽古場では二重の盆を使った稽古を積んできてはいるのだが。舞台の状態や観客の反応を見ながら手直しを重ねていく、文字通りのプレビュー公演である。
宣伝用リーフレットより(画像をクリックすると、大きなサイズでご覧いただけます) |
プレビューさなかの14日、『レ・ミゼラブル』のオリジナル・スタッフがほぼ全員東京に集合、会見が行われた。アラン・ブーブリル、クロード=ミッシェル・シェーンベルク、ハーバート・クレッツマー、デヴィッド・ハーシー、衣裳デザイナーのアンドレアーヌ・ネオフィトゥ、そしてプロデューサーのキャメロン・マッキントッシュ。4月から稽古場で俳優たちに寄り添い、厚い信頼を受けていた演出のジョン・ケアードは、言うまでもなく。
1週間前のトニー賞受賞者がそっくりそのまま並んだ呈である。美術のジョン・ネピアのみ来日できず、美術補のキース・ゴンザレスが参加。世界のミュージカル界を牽引するトップ・クリエイターたちが一堂に会した、かつてない、そして今後もたぶんないだろう、まぶしく贅沢な会見であった。初日はもう3日後に迫っていた。
1987年6月14日 トニー賞8部門受賞会見&パーティ |
(文中敬称略)