コラム



【BACK NUMBER】 vol.1


 「エコール レ・ミゼラブル」。え、それ、なに?と思う人もいそう。でも、『レ・ミゼラブル』ファンなら聞いたことがあるだろう。『レ・ミゼラブル』初演以降いまも続いているシステムなのだから。直訳すれば、「レ・ミゼラブル学校」といった感じ。要するに、『レ・ミゼラブル』のキャストたちが、歌やダンス、演技の技術を磨き、また作品について深く知るための「学校」である。
 「エコール」が始まったのは86年8月。『レミゼ』開幕より10か月も前だ。つまりは、その頃にはキャストもほぼ決まってきていたわけで、余裕のあるスケジュールにとびきりの大作への意気込みも窺える。実際、かつてない大作開幕に向けて現場は忙しかった。出演が決定した俳優たちを待っていたのが「エコール」だ。開幕を2か月後に控えた87年4月までの9か月間、五反田にあった「エコール」の場でレッスンが続いた。

エコール『レ・ミゼラブル』開講式

 もちろん、強制ではない。仕事や用のある者は出席しなくても構わない。でも、出席率は高かった。ここで学ぶ事柄が『レミゼ』の舞台に立つために大いに役立つことも、舞台のできを左右することも、みんな分かっていたから。しかもレッスンは無料で、それどころかギャラまで出たのだ。ブロードウェイなどでは稽古期間も本番の数割のギャラが保証されるけれど、日本ではその慣習はない。稽古どころかプレ稽古でもギャランティされる、画期的な「学校」だった。

 場所は、資生堂の提供。実は『レ・ミゼラブル』は、東宝のミュージカルでは初めて他企業の協賛を付けた作品なのだ。当時は「メセナ」が話題になり始め、さまざまな企業が文化に関わりを持つ姿勢を打ち出していた頃。その流れのなか、『レ・ミゼラブル』も協賛を付けた。桁外れの製作費が必要だったことも、おそらく、理由のひとつだったのだろう。ついでに言えば、今は普通のチケット予約システム、東宝テレザーブも『レ・ミゼラブル』初演から導入されたものだ。

雑誌「ぴあ」特別広告企画号表紙

 さて、エコール。レッスンの内容は多岐に渡った。まずは、ミュージカル俳優の基礎となる、ヴォイス・トレーニング、歌唱指導、ダンス、演技などのクラス。『レミゼ』の難曲を歌い役を演じるための、当然のレッスン。また、ヴィクトル・ユゴーの原作研究や、当時のフランス社会や文学についての講座。ミュージカルの時代背景を理解し、登場人物に息を吹き込むための教養授業である。さらには、整体の時間も。ハードなロングランの間、体調を万全に保つためだ。
 俳優たちの多くが戸惑いながらも楽しんだのが、ワークショップだ。子供の頃に好きだった漫画や童話の主人公になって、歌ったり演じたり。また、原作から抜粋した一人の人物を3種類に演じ分けるとか。「サブ・テキスト」の作り方も、演出家ジョン・ケアードによって導入された。演じる役の、台本には書かれていないバックグラウンドを、俳優が自分で考え構築する作業だ。


 『レミゼ』では、数人を除いて全員がさまざまな役を演じる。例えば、囚人から農夫、工場労働者から学生、はたまた貴族も、といった具合。衣裳替えだけでも大変だが、キャラクターをガラリと変貌させるのはさらに大変だ。その助けとなるのが「サブ・テキスト」。わずか数分の出番でも、その人物の生い立ちや境遇、考え方をきちんと作り上げておけば、役が瞬時に命を持てるわけだ。
 「エコール」の日々を重ね、87年4月からはジョン・ケアードが日本に腰を据えて本格的な稽古が始まる。その頃にはセカンド・キャストも発表された。代役というより、サブ・プリンシパルとでも言うべきこれは、ブロードウェイやロンドンではマチネ・キャストに当たるポジション。あちらでは週8回の公演を、日本の慣習に従い週10回にするための方法でもあった。「エコールで俳優たちが力を付けたからこそ、決定キャストの内部からセカンド・キャストを選出できた」と、初演『レ・ミゼラブル』の日本版スーパーバイザーだった故・増見利清は語っている。

1987年5月7日 全配役ダブル・キャスト発表会見

 俳優たちが開幕に向けて着々と歩を進めていく一方で、翻訳台本作りも進む。全体の翻訳は酒井洋子だが、その後の訳詞を手がけたのは故・岩谷時子だ。正確には、1幕が吉岡治、2幕が岩谷時子で、最終的には岩谷が全てを統一するという形。当初2人に分けたのは、時間が足りなかったからだ。岩谷は、すでに『王様と私』などの訳詞で評価も高く、作詞家としても売れっ子だったけれど、『レミゼ』の訳詞には苦心したと語っていた。


 苦心の最大原因は「一音一語」ルール。美しいメロディラインを壊さないため、ひとつの音符にはカナ1字しか当てない、というルールだ。ただでさえ、英語を翻訳すると日本語では分量が2倍にはなってしまう。しかも、全編歌で綴られる作品だけに、必要最低限の情報は入れ込まねばならない。豊富な語彙と鋭敏な言語センスを持つ岩谷にも、これは大変な作業だった。
 岩谷は、ほぼ毎日稽古場に通い、演出のジョン・ケアードと訳詞を詰め、また手直しを加えた。ローマ字で訳詞を書き込んだ譜面と、英語が日本語としてどう構築されているかを記した文を並べて、ジョンと話し合ったのだ。たとえば♪一日が終わりゃ♪(The end of the day)なら「The day end」といった文を添えるわけだ。ジョンが「ちょっと…」となると、岩谷はその場で訳詞を直していく。その積み重ね。精緻で繊細な作業を重ね、『レ・ミゼラブル』のナンバーはニュアンスのあるきれいな日本語の歌詞に生まれ変わっていった。
(文中敬称略)