ニューヨークに住む16歳のキャロル・キング(水樹奈々/平原綾香)は、教師になるように勧める母親のジニー・クライン(剣 幸)を振り切って、名プロデューサーのドニー・カーシュナー(武田真治)に曲を売り込み、作曲家への一歩を踏み出す。やがて同じカレッジに通うジェリー・ゴフィン(伊礼彼方)と出会い、恋に落ちた二人はパートナーを組み、キャロルが作曲、ジェリーが作詞を担当するようになる。ほどなくしてキャロルは妊娠、結婚した二人は必死で仕事と子育てに奮闘する。同じ頃二人は、ドニーがプロデュースする新進作曲家と作詞家のコンビ、バリー・マン(中川晃教)とシンシア・ワイル(ソニン)と良き友人となり、互いにしのぎを削り、ヒットチャートの首位を争うようになる。数々のヒットを放ち、全てが順調に進んでいるかのように思われたが、そこには新たな困難が待ち受けていた――。
キャロル・キング 年譜
『文藝別冊 キャロル・キング』
(河出書房新社刊)年表を参照
1942年 | 2月9日 父シドニー・クライン、母ユージニア(愛称ジニー)の長女としてニューヨーク州ブルックリンに生まれる | |
1945年 | 3歳 | 自己流でピアノを弾き曲を作る |
1953年 | 11歳 | 両親 離婚 |
1958年 | 16歳 | ニューヨーク市立大学クイーンズ・カレッジに入学 同じ大学に通うジェリー・ゴフィンと出会う |
1959年 | 17歳 | ジェリー・ゴフィンと結婚 ニール・セダカの紹介で、プロデューサーのドン・ガーシュナーと契約 |
1960年 | 18歳 | 長女ルイーズ誕生 バリー・マン&シンシア・ワイルとい出会う |
1961年 | 19歳 | 「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロー」(歌:シュレルズ)発表 全米一位になる |
1962年 | 20歳 | 次女シェリー誕生 ニュージャージーに新居を構える 「ロコ・モーション」(歌:リトル・エヴァ)発表 全米一位 |
1963年 | 21歳 | レコーディングのために初めてロサンゼルスへ行く |
1965年 | 23歳 | 夫ジェリー 精神に不調をきたし、療養に入る |
1967年 | 25歳 | 「ナチュラル・ウーマン」(歌:アレサ・フランクリン)発表 |
1968年 | 26歳 | ジェリー・ゴフィンとの結婚生活が破綻 キャロルは娘を連れてカリフォルニアに移住。 以降は活動拠点を西海岸に移す |
1971年 | 29歳 | ソロアルバム「つづれおり」発表 6月18日 カーネギーホールでコンサートを行う。翌日 アルバムチャート1位を獲得 |