ピアフ

瀬戸内寂聴さんのしのぶピアフへの賛辞

瀬戸内寂聴さんのしのぶピアフへの賛辞

ある日、ふと週刊誌で大竹しのぶさんの『ピアフ』の広告が目に入った。突然私はむっくと起き上がり、秘書のまなほをメールで呼び寄せた。

「明日すぐ上京してピアフ観る。用意して」

「今頃、キップありませんよ」

「ある!私だと言いなさい!どんな隅でもいい。冥土の土産に観たいと言うのよ」

「冥土の土産だと言っては毎日、美味しいものを食べてる上に、観るのも加わるのですか?」

「つべこべ言わずに、即、TELしなさい!」

そこで、私は若い秘書の腕にしがみついて、歩く所は全部車椅子で上京し、常宿の帝国ホテルに泊まった。『ピアフ』の上演されている劇場シアタークリエは、ホテルから歩いて三分の場所であった。(中略)しのぶさんが私が行くのをとても喜んでいると伝言があった。私は真っ赤なバラをどっさり届けておいた。秘書のまなほは東京に着くと急に優しくなり、『ピアフ』に行くのを私以上に喜んでいる。(中略)

大竹しのぶのピアフは圧巻だった。小さくて顔も子猫のしのぶピアフは、写真でしか知らない肥りぎみ丸顔の本物のピアフとは似ていないが、口をおデコまで大きくあけて歌うしのぶピアフの迫力は、観て聴いている私を、この世の外に引っ張り出してくれた。パリの貧民街に生まれ、路上で歌っていたのを発見され、エディット・ピアフという世界的大スターとなるピアフの情熱と、生真面目さと、孤独を、しのぶピアフは息をつぐひまもなく人生をかけて熱演し、観客を陶酔させた。一度も逢ったこともないのに、ピアフはこうだったのだろう、こう歌ったのだろう、こう男に溺れたのだろうと納得させられてしまう。ピアフの恋人で、ただ一人私が逢って歌声を聴いたことのあるイヴ・モンタンが出てきて歌った時は、思わずそれが舞台であることを忘れて、声を上げたくなった。ピアフは生涯、死ぬまで優しい男に恵まれていた。それでいて孤独であった。大竹しのぶは?

(「婦人公論」 2016年5月24日号より)